今日も日本史の旅を続けましょう。今回は大化の改新後の政治の揺れ動きについて見ていきます。大陸の動きも影響し、国内はさまざまな動揺を見せますが、逆に、そのことが国家としての成長につながっていきます。一人の人間の人生と同じように、模索・試行錯誤、もがき苦労するからこそ、国家も成長していきます。
では、どうぞ。
【日本史のできごと】
655年 皇極天皇が再び即位=重祚(ちょうそ)し斉明天皇となる。
658年 朝廷、阿倍比羅夫を東北地方に派遣。阿倍比羅夫は秋田・
能代地方?の蝦夷を攻撃する。
有間皇子、謀反の罪で捕らえられ処刑される。
660年 阿倍比羅夫が粛慎(みしはせ)を討つ。
百済の使いが、唐・新羅連合軍による百済滅亡を伝える。
中大兄皇子、漏刻(ろうこく)を作る。
661年 斉明天皇・中大兄皇子・大海人皇子、百済救援のため九州
に向かうが、斉明天皇は、朝倉宮で死去。
中大兄皇子、皇位に就かずそのまま政務を執る=称制。
662年 阿倍比羅夫を百済に派遣し、百済の王族を王位に就か
せる。
663年 倭・百済連合軍、唐・新羅連合軍に大敗(白村江の
戦い)。
664年 氏上(うじのかみ)を定めて、豪族の私有民を認め、
豪族層の編成を行う。
対馬・壱岐・筑紫などに防人・烽(とぶひ)を設け、
筑紫に水城を築く。
665年 百済からの亡命貴族に長門の城、筑紫の大野城・
基肆城(きいじょう)を築かせる。
百済の遺民を近江国に受け入れる。
667年 近江大津宮に遷都。
668年 中大兄皇子、天智天皇として即位。
中臣鎌足に律令をつくらせ、ほぼ完成したといわ
れる(近江令?)。
越国(越後国)が石炭・石油を献上する。
669年 中臣鎌足に大織冠と大臣の位を授け、藤原の姓を
与える。
中臣鎌足死去。
670年 天智天皇、庚午年籍をつくる。
671年 大友皇子を太政大臣とする。
大海人皇子が吉野に移る。
天智天皇、近江大津宮で死去。
朝鮮半島では新羅が唐と結んで百済と高句麗を滅ぼしていきます。日本と関係が深かった百済が救援を求めてきます。そこで、当時の朝廷は時の天皇(斉明天皇)自ら出陣して、百済救援に向かうわけですが、途中で亡くなってしまいます。
天皇の位は一旦空位になりますが、中大兄皇子が天皇の位に就かずそのまま皇太子として政治を行います(称制)。その後、日本軍は朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍に大敗を喫してしまいます。
このような外患に対して、中大兄皇子を中心とする朝廷は、各地に防衛拠点を設置(水城や大野城、朝鮮式山城など)。国内の豪族に対しては融和策をとり、公地公民制を少し緩和させました。
前後して、孝徳天皇の子である有間皇子の謀反が発覚して、有間皇子は処刑されてしまいます。父孝徳天皇といい、悲劇の皇子になってしまいましたが、彼は歌の名手で奈良時代の超メジャーな歌集『万葉集』にも有間皇子の歌が収録されています。
こうした状況の中で、中大兄皇子は近江大津宮に都を移し、いよいよ天智天皇として即位するわけです。即位後天智天皇は、庚午年籍や近江令などを制定し、国家体制を固めていきますが、近江令については上にもあるように、その完成を疑う説もあります。
ちなみに、天智天皇は漏刻をつくったとされますが、はい、ご存じな方は歴史通ですね。この漏刻とは時計。水時計的なもので、天智天皇がこの漏刻を据えて時を知らせたとされます。このことを記念して、この漏刻がつくられたとされる現在の6月10日(昔の暦では4月25日)は時の記念日になっています。
東北地方の制圧も斉明天皇の時代に進み、日本海側は現在の秋田県の沿岸地域ぐらいにまで支配を広げました。また、越の国(現在の新潟県)からは石炭や燃ゆる水、いわゆる石油が届けられました。
天然資源は貴重です。東北地方、陸奥国では平安時代ごろには金が産出し、大陸からの関心が集まります。黄金の国ジパングにつながる話ですね。
天智天皇は671年に亡くなりますが、心残りが一つ。息子の大友皇子の将来です。直前に天智天皇の弟の
大海人皇子が吉野に下っています。虎を野に放つ。まさにその通りで、大海人皇子は当時の実力者。吉野で勢力を蓄え、やがて、近江朝廷側の大友皇子と対立していきます。天智天皇としては息子の行く末は本当に心配だったことでしょう。
さあこの後のどうなっていくか。結末については、みなさんご存じですね。詳しくは次の旅でみていきましょう。
◇関連するランドマーク◇
わかやま記紀の旅ー名湯を広めた皇子の知られざる悲劇
https://www.wakayama-kanko.or.jp/features/journey-of-ancient-chronicles/story09/
※政争に巻き込まれ、悲劇のうちに19歳の若さで処刑された有間皇子。亡くなる前に牟婁(むろ)の湯、今の
白浜温泉に赴いたそうです。現地和歌山県には、いくつかの有間皇子の遺蹟が残されています。
大津市歴史博物館(近江大津宮のテーマ展示)
https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/event/jyousetsu/theme_6.html
天智天皇と大津京 史跡と伝承ー近江神宮
https://oumijingu.org/pages/112/
※大津市歴史博物館と近江神宮のホームページ。近江大津宮の関連情報が見られます。
大津湖岸の琵琶湖の風景