日本史の旅(11)

 だいぶ間が空きましたが、日本史の旅を一歩進めてみましょう。今日の旅は厩戸王(聖徳太子)の死の前後の流れを見ていくことにしましょう。
 ヤマト政権を統一国家にまとめるべく奔走した厩戸王でしたが、残念ながら志半ばで亡くなり、またしても蘇我氏の権勢パワーアップで、皇族やほかの豪族たちの不満が満ち満ちてきます。厩戸王(聖徳太子)の意志を継ぐ者は。。。もうお分かりですね。
 一方、大陸では唐が隋に代わって中国を統一。朝鮮半島では新羅が強大化してきます。
【日本史のできごと】
614年 犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)が隋に派遣される。
620年 厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子が、『天皇記』『国記』『臣連伴造国造
   百八十部并公民等本記』を編纂。

621年 このころ厩戸王(聖徳太子)が母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后
   のために中宮寺を建立。

622年 厩戸王(聖徳太子)が斑鳩宮で逝去。
   妃橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が、王のために天寿国繍帳(てん
   じゅこくしゅうちょう)をつくる。

623年 厩戸王(聖徳太子)の冥福を祈って、法隆寺金堂釈迦三尊像が
   つくられる(鞍作鳥[止利仏師]作か)。

626年 蘇我蝦夷が大臣となる。

630年 犬上御田鍬が唐に派遣される(第1回遣唐使)。632年に帰国。

640年 入唐学問僧南淵請安・留学生高向玄理が唐より帰国。
641年 山田寺造営開始。
642年 皇極天皇即位。大臣蘇我蝦夷の子入鹿、国政を掌握し、権勢を
   ふるう。

643年 蘇我入鹿、山背大兄王(厩戸王の子)らを襲撃し、自害させる。
 いろいろ出てきましたが、飛鳥の文化でいうと、中宮寺では弥勒菩薩半跏思惟像が有名ですね。前回の旅で京都太秦の広隆寺の話がありましたが、広隆寺にも半跏思惟像があります。二つとも国宝に指定されている貴重な文化財ですね。ほかにも法隆寺釈迦三尊像、百済観音像。。。
このあたりはまさに国宝のオンパレードです。当時の中国や朝鮮半島の仏像文化の影響を色濃く受けていることがそれぞれうかがえる仏像になっています。
代表的なものをあげると、
〈中国北朝[北魏]様式〉
 飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏)、法隆寺金堂釈迦三尊像、法隆寺夢殿救世観音像
 →ともに鞍作鳥(止利仏師)とその一派の作と伝えられる。アルカイックスマイルで有名。
〈百済・中国南朝様式〉
 法隆寺百済観音像、中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像、広隆寺半跏思惟像
 →止利派の作品ではない。こちらも柔和だが写実的な表情をしている。
 これらの仏像は飛鳥・斑鳩の地、京都太秦に行けばお会いできます。法隆寺夢殿救世観音像については、御厨子(仏像を安置する仏具)の開扉期間が限られていますので、是非ご確認を。
祈りの回廊~夢殿秘仏・救世観音菩薩立像(法隆寺)~
http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/horyuji/event/xwq22kly96/
聖徳宗総本山法隆寺
http://www.horyuji.or.jp/garan/yumedono/
 私も何度か飛鳥・斑鳩の地を訪れましたが、これら国宝級の仏像を目の当たりにしますと、心に溜まっていた塵が洗われ、日頃の煩悩から解放された、楽な気持ちになりました。なんかその場を立ち去りがたく、ずっと向き合っていたいような気持ちになったことを覚えています。
 中学校・高校と奈良・京都へ修学旅行に行きました。高校では日本史を選択しました。当時は文化のことなんてなかなか覚えづらく、仏像や寺院の名前など、ややこしくて分からんでしたが、大人になって再び訪れると、まったく趣の異なる見方で見ることができました。
 学校では学べなかった、歴史の奥深さを改めて思い知らされました。不思議なものですね。感動です。大人の修学旅行もなかなかいいですよ。
 仏像だけでなく、天寿国繍帳や玉虫厨子など、飛鳥・斑鳩はほかにも素晴らしい文化の足あとをたどることができますよ。大人になってからでも遅くはありません。学び直しには「いとをかし」な素敵な場所です。
 さて、仏像を中心に飛鳥の時代の話を旅してきましたが、少し政治の話に戻しましょう。
 厩戸王(聖徳太子)は当時権力を誇った蘇我氏と協力して、天皇中心の国家体制を整えるべく苦心してきましたが、残念ながらその仕上げを見ることなく、亡くなってしまいます。
 その後、先にもある通り、再び蘇我氏が絶大な権力を握り、政権を牛耳ります。蘇我馬子の子蝦夷、そしてさらにはその孫の入鹿と、蘇我氏は飛ぶ鳥を落とす勢いになっていきます。
 挙句の果てには、厩戸王(聖徳太子)の子、山背大兄王を襲って自害に追い込むなど、専横の限りを尽くします。だいぶ蘇我氏が悪者になった感がありますが、まあほどほどにしながら次へ。
 この蘇我氏の権勢拡大に待ったをかける一派が現われます。「驕れる平氏も何とやら」ですが、絶頂に至った蘇我氏のこの後の末路も何か悲劇的な感じがします。歴史がそれを物語るわけですが、この後の結末については、また次の旅で歩んでみましょう。
法起寺とコスモス.jpg
法起寺とコスモス
法起寺(ほっきじ)は厩戸王(聖徳太子)の子山背大兄王が、厩戸王の岡本宮を寺院としたもの。法隆寺式の伽藍配置で、三重塔は国宝だそうです。

タイトルとURLをコピーしました